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たけ屋みずほの和文化ブログ
〇●和文化のススメ●〇 vol.81【ゆかた】
和文化の時間ですよ~♪
【ゆかた】
夏の風物詩【ゆかた】の季節まっただ中ですね♪
着物の中でも一番気軽に着ることができて親しみやすいのが「ゆかた」ですね♪
お祭りや盆踊りには浴衣でお出かけしたいですね♪
今日は「ゆかた」についてお話します(*^_^*)
「ゆかた」とはもともとは「湯帷子(ゆかたびら)」と言って、平安時代の貴族が入浴時にまとっていました。
湯帷子(ゆかたびら)とは入浴とはいっても今のように湯につかるのではなかったようです。
当時は、蒸気を浴びるサウナのような蒸風呂で、汗を吸い取るため、またヤケドをしないように麻の薄い単(ひとえ)を着ました。
これが「湯帷子」というものなんです。
(本来は麻地のもののみをいうそうです)。
室町時代には手拭いならぬ「身拭い」(身ぬぐい)と言っていました。
浴衣が庶民の間に広がったのは、風呂屋が普及した江戸後期なんだそうです。
江戸時代になり、町人文化の発展にともなって、また、「木綿」の普及によってゆかたも進化してきました。
浴衣が庶民の間にひろがったのは江戸後期に風呂屋が普及したことによります。
このころは風呂には裸で入るようになっていたそうです。
だから浴衣もはじめは湯上りの汗をふき取るために着用されていました。
今のバスローブのようですね!
湯上りに浴衣を着て風呂屋の2階などで涼んでいたり、寝間着として着られていました。
それが次第にそのまま着て外へ出るようになり、下着から外着へとその用途を変えていきました。
生地も江戸以前は麻だったものが、木綿の普及によって木綿に変わってゆきました。
江戸町民の間では、盆踊りや花見などに揃いのゆかたで出かけることが流行し華やかな文様が生まれした。
また、歌舞伎役者が舞台で着た衣装を庶民が真似るなどしたことでゆかた文化が江戸に花開きました。
もう一つ江戸時代に浴衣が広まった要因として天保の改革があげられます。
天保の改革(徳川時代後期)で町人は絹を着てはならないという掟が出されてからは、木綿のゆかたがますます発達しました。
浴衣が夏の普段着として全国的に定着したのは明治に入ってからです。
それまでの本藍の手染めにかわって、大量生産が可能な「注染」という染色方法が発明されてからです。
この技法は今でも生きています。
今では「夏のおしゃれ着」として、夏の風物詩として皆様に愛されています。
ここで、ぜひ覚えておいて頂きたいことがあります。
浴衣といえども、外出着として着るわけですので、浴衣スリップや補正、和装ブラジャーなどは着用していただくということです。
旅館などで着る寝る時の浴衣は素肌に来てもOKですが、外出着では直に着ません。
よく、浴衣は素肌に着るものよと耳にしますが、それは家でお風呂上りに涼んで着る場合です。
今や自分で着られる方も少なくなり、着付けの方に着せて頂くことも多いと思います。
そんな時に素肌ではちょっと目のやり場にも困るものです(+o+)
そして、浴衣でも下駄を脱いでお座敷やおうちに上がる時は必ず「足袋」などを履きましょう。
お座敷の場合は特に、足を崩した時にお隣に足が近いので、足の裏を見せてしまうことになります。
食事の時などはやはり避けたいので、足袋やレースの足袋を履くという心配りが必要です。
大人のマナーですね!
(バッグに忍ばせておいて、必要な時に履くというのもOKですね)
レースの足袋はたけ屋でも好評販売中~で~す!
ぜひお買い求めくださいませ(*^_^*)
では皆様今年の夏も素敵な浴衣ライフを楽しんでくださいね♪
今日も「和」して心豊かなひとときをお過ごしくださいませね(*^_^*)
【ゆかた】
夏の風物詩【ゆかた】の季節まっただ中ですね♪
着物の中でも一番気軽に着ることができて親しみやすいのが「ゆかた」ですね♪
お祭りや盆踊りには浴衣でお出かけしたいですね♪
今日は「ゆかた」についてお話します(*^_^*)
「ゆかた」とはもともとは「湯帷子(ゆかたびら)」と言って、平安時代の貴族が入浴時にまとっていました。
湯帷子(ゆかたびら)とは入浴とはいっても今のように湯につかるのではなかったようです。
当時は、蒸気を浴びるサウナのような蒸風呂で、汗を吸い取るため、またヤケドをしないように麻の薄い単(ひとえ)を着ました。
これが「湯帷子」というものなんです。
(本来は麻地のもののみをいうそうです)。
室町時代には手拭いならぬ「身拭い」(身ぬぐい)と言っていました。
浴衣が庶民の間に広がったのは、風呂屋が普及した江戸後期なんだそうです。
江戸時代になり、町人文化の発展にともなって、また、「木綿」の普及によってゆかたも進化してきました。
浴衣が庶民の間にひろがったのは江戸後期に風呂屋が普及したことによります。
このころは風呂には裸で入るようになっていたそうです。
だから浴衣もはじめは湯上りの汗をふき取るために着用されていました。
今のバスローブのようですね!
湯上りに浴衣を着て風呂屋の2階などで涼んでいたり、寝間着として着られていました。
それが次第にそのまま着て外へ出るようになり、下着から外着へとその用途を変えていきました。
生地も江戸以前は麻だったものが、木綿の普及によって木綿に変わってゆきました。
江戸町民の間では、盆踊りや花見などに揃いのゆかたで出かけることが流行し華やかな文様が生まれした。
また、歌舞伎役者が舞台で着た衣装を庶民が真似るなどしたことでゆかた文化が江戸に花開きました。
もう一つ江戸時代に浴衣が広まった要因として天保の改革があげられます。
天保の改革(徳川時代後期)で町人は絹を着てはならないという掟が出されてからは、木綿のゆかたがますます発達しました。
浴衣が夏の普段着として全国的に定着したのは明治に入ってからです。
それまでの本藍の手染めにかわって、大量生産が可能な「注染」という染色方法が発明されてからです。
この技法は今でも生きています。
今では「夏のおしゃれ着」として、夏の風物詩として皆様に愛されています。
ここで、ぜひ覚えておいて頂きたいことがあります。
浴衣といえども、外出着として着るわけですので、浴衣スリップや補正、和装ブラジャーなどは着用していただくということです。
旅館などで着る寝る時の浴衣は素肌に来てもOKですが、外出着では直に着ません。
よく、浴衣は素肌に着るものよと耳にしますが、それは家でお風呂上りに涼んで着る場合です。
今や自分で着られる方も少なくなり、着付けの方に着せて頂くことも多いと思います。
そんな時に素肌ではちょっと目のやり場にも困るものです(+o+)
そして、浴衣でも下駄を脱いでお座敷やおうちに上がる時は必ず「足袋」などを履きましょう。
お座敷の場合は特に、足を崩した時にお隣に足が近いので、足の裏を見せてしまうことになります。
食事の時などはやはり避けたいので、足袋やレースの足袋を履くという心配りが必要です。
大人のマナーですね!
(バッグに忍ばせておいて、必要な時に履くというのもOKですね)
レースの足袋はたけ屋でも好評販売中~で~す!
ぜひお買い求めくださいませ(*^_^*)
では皆様今年の夏も素敵な浴衣ライフを楽しんでくださいね♪
今日も「和」して心豊かなひとときをお過ごしくださいませね(*^_^*)
2014/07/22 |